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| 子供達の下校時間に合わせて訪問。お菓子を頂きながら楽しく交流。 |
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韓国語を学ぶ参加メンバーのためにハングルのゲームも準備してくれました。 |
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「その日木浦が泣いた」
至誠の愛に生きた尹鶴子さん。
1968年10月31日。
木浦共生園創立者尹鶴子(日本名:田内千鶴子)さんの死去に、木浦市民葬を報じた新聞の見出しです。
日本統治時代、父親とともに全羅南道木浦に渡った田内千鶴子さんは、その後結婚した夫の伝道師尹致浩さんと力を合わせて、太平洋戦争などで親を失くした孤児を守るため、木浦共生園を創立しました。
1950年に起こった朝鮮戦争の混乱の中、行方不明になった夫の後を受け、日本人迫害の嵐の中女手ひとつでひたすら孤児を守るため、子供達に食べさせる一杯の粥を求め、辛酸を嘗めながら一人戦い続けました。
この間の尹鶴子さんの至誠の戦いは、やがて韓国の人々の共感を呼ぶところとなり、韓国政府は独立以来、日本人としては初めての最高の栄誉である、大韓民国文化勲章国民賞を贈り称えました。
これまでに木浦共生園を巣立った三千人を超える子供達から、今も「木浦のオモニ」としてし親われ、「オモニはもう一人のマザーテレサです」という言葉を贈られ尊敬されています。
今回、金敬善韓国語学院の韓国研修旅行参加メンバーの訪問時には、尹鶴子さんのお孫さんである現園長丁愛羅先生と子供達が心良く迎えて下さいました。
木浦共生園の園児の皆さんは、明るく元気でとても素直に育っている印象を強く受けました。
共生園の皆さん、ほんとうにありがとうございました。
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